個性の源

圓山くん(a.k.a 栗原パンダ)とある日、たしかタイ料理を食べながら雑談していたとき、「ラーメンは麺とスープを同時に食べないと気が済まない。だから必ずレンゲを使って、同時に食べるようにしてる。」という話を聞いた。

レンゲに麺をいれて食べるのは、冷ましたくてやるものだと思っていたし、そもそも麺とスープはそれぞれに主体性がある故に、基本的には別に楽しむものと思っていたので、その接し方は目から鱗だった。

言われてみればたしかにぼくは麺とスープを同時に食べるという行為をしたことがないかもしれない。

なるほど、じゃあ自分もそうしよう!となるわけじゃないんだけど、そういう観点があるから解釈って面白いなと。

 

韻はラップだけのものではない

歌詞をつくるとき、一番大事にしていることはストーリーとか伝えたいこととかではない。もちろん文字数でもない。情景、と言いたいところだが、それでもない。メロディがもっている韻である。とにかく重要。

メロディが浮かんだときにハマる言葉(歌詞)が一緒に出てくることはある。このときはラク。ほとんどは出てこない。ただ、韻は必ずハッキリと浮かんでいる。

メロディに韻がうまくハマらない言葉は、いかにストーリーが紡げてもそこに置く気になれない。どうしてそう思ってしまうのかはよくわからないが、とにかく、韻がメロディと合致してくれないと歌詞にできないのである。

歌唱法でカバーできる部分もある。クセの強い歌唱法をもつシンガーは、韻をうまくメロディに溶かす方法として、歌唱法を編み出しているという側面もあるように思う。伝えたいことを優先したい場合にかなり有効。

あと、必ずしも一致しなくても代替できる韻もある。例えば「あ」と「お」の響きはそう遠くない、とか。

とはいえ、基本的には韻を固定した状態でメロディ上の言葉を作っていく。その上、何度も繰り返し同じ韻を踏みつつ、ストーリー展開していくことが理想。これは、発音数が少ないメロディを扱う場合(つまりGolf)は特に難しい。

そこで、困難すぎる歌詞作りについて最近思いついた策が、メロディを繰り返さず変えていくという考え方だ。コロンブスの卵。

なんでそんなこと急に言い出したかと言うと、まさに実行中だからである。いい曲になりそうだなこれ。